Readings in Japanese level 5

アニメーションとわたし 手塚治虫 わたしは、小学生のころ、よくノートにまん画のいたずらがきをした。いろいろな動物や植物、先生や友達の顔をまん画にかいた。それうにほどまん画に熱中したのは、人一倍体が弱く、友達も少なかったせいかもしれない。そのうちに、ただのまん画では物足りなくなった。動くまん画を作ってみたくなったのだ。ノートのかあすみに、ページごとに少しずつ違った絵をかいて、それをぱらぱらと弾くようにしてめくると、絵は生きているように動き始める。 「あっ、ぼくのかいた絵が動いた。」 わたしは、おもしろくてたまらなかった。 ノートではすぐに終わってしまうので、家にあった辞書を利用することにした。そのすみにかたっぱしから連続したまん画をかき、ぱらぱらとめくっては、うごくまん画を楽しんでいた。 「みっともなくた、人に見せることもできない。」 と、父にしかられ、ふうふう言って消したりしたこともあった。 絵が動いて見える。これがアニメーション(動画)の一番の基本なのだ。 むかし、人々は、山や川、火や風、あるいは動物や植物など、自然界のすべてのものにたましいがあって、人間と同じように生きていると信じていた。これをアニミズムという。むかし話では、動物たちが人間の言葉を話し、花や水の精が現れ、太陽や山も人間と同じように生きている。むかしの人々は、自然と共に生き、自然と対話しながら生活していたのだろう。 アニメーションという言葉は、このアニミズムという言葉から作られたのだ。アニメーション、つまり動画では、うさぎやくまがおどり、樹木や花が歌い、石や岩が動きだす。また、ロボットが登場するかと思えば、ピアノやつくえ、建物までが、人間のように生きている。このように、アニメーションの楽しさは、現実にありえない世界を映像で作り出し、わたしたちのゆめをかき立ててくれるところにあるのだ。 ある日、わたしは、とうとう父の八ミリさつえい機を持ち出して、えん側にすえ付け、アニメーションの製作に取りかかった。学校から帰って、こつこつとかきためた百何十まいもの絵をレンズの前に置いて、一まいずつさつえいしていった。電燈の光では暗過ぎてよく写らないので、昼間、太陽の光でとった。 やっと終わって、現像が出来るのを待ちかねたように映写してみた。ところが、出来上がったアニメーションは、ちかちかとしてたいへん見にくいものだった。同じ明るさで照っていると思っていた日光が、実はそうではなく、一こま一こま明るさがちがっていたからだ。おまけに、時間をかけてたくさんの絵をかいたのに、たった五、六秒で、あっという間に終わってしまった。わたしは、がっかりしたが、アニメーションには想像もつかないほど大変な数の絵と手間が必要なのだということを、子ども心にさとったのだった。 そのとおりなのだ。アニメーションが自然の動きに見えるためには、ふつうの映画で、一秒間に二十四枚こまのちがった絵が必要になる。一分間では六十倍の千四百四十まいの絵をかかなければならない。ところが、それを見るのはたったの十分間。ちょうど、長い時間と多額の費用をかけてほったトンネルを、あっという間に列車が通過してしまうのににている。 子どものときに取りつかれたアニメーションに対するきょうみは、大人になってからも変わらず、少しずつ勉強を重ねていった。特に、「ミッキーマウス」や「白雪ひめ」など、ディズニーの作品は欠かさずに見て、研究した。中でも、「バンビ」のすばらしさには、すっかり虜になってしまった。毎日毎日映画館に通い続け、姉妹には、係の人に変な目で見られるようになった。それもそうだろう、なんと百回以上も、この「バンビ」を水戸のだから。おかげで、しかやうさぎの動作、せりふ、はい景の工夫、音楽の音ぷの一つ一つにいたるまで、すべげ暗記してしまった。そして、わたしも、それまでにないすぐれた作品を作ってみたいと、いっそう強く思うようになった。 Citation: p114ー

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